· 

【武道の精神】至誠館道場で剣道を通して学んだ事

15年間ほど剣道をしてきました。大学時代には一度地区大会で優勝し、団体戦では全国大会の切符を取るためにチーム創りに勤しみ、チームとして最大の効果をあげて、結果を残すためにどうすれば良いかを考えて自分の役割を全うすることに集中していました。そして自分自身を常に極限まで追い込んで、成長し続けるエンジンを開発してきたように思います。それが今、デザイン活動の糧にもなっています。剣道をやっていなかったら、今の自分のデザイン活動の取り組み方も180度変わっていたことでしょう。

 

小学生の時には自分の家の真ん前に道場がありました。

 

僕が小学生の頃に通っていた至誠館道場の写真です。岐阜市内の 眞中神社の中にありました。僕の家も神社の中にありました。高速道路ができたため立ち退きを余儀なくされ、今はなくなってしまいました。先生が身体を壊されて、道場をたたまれてからは、ここは神社の物置となり、僕の母方のおじいちゃんとおばあちゃんが祀られていました。僕の記憶の中に生き続けるトポスです。

 

僕に剣道を教えて頂いたのが若森登先生です。武道の考え方、日本の武道の歴史をこの道場で学びました。登先生には習字も教えて頂きました。優しい先生でしたが、みんなの練習が終わった後、一人で道場で居合の練習をされているのをこっそり見ていた時の真剣な眼差しと鋭い足さばき、刀の振る舞い方は今でも鮮明に記憶しています。亡くなられていますが、僕にとっては自分の人生を幼心がずっと下支えしていただき、「剣道やってるか?」と気にして頂けていたこと、本当に感謝をしています。僕の夢の一つには小さな道場を開くことがあります。いつか叶えたい夢です。

 

小学5年生の時は2級だったみたいです。黙想で静まり返る道場、夜に虫たちのささやき声が合唱のように聞こえてくる。堂々と叩く太鼓の音。みんなもみくちゃになりながら一斉に先生に向かって掛かり稽古。今思えばこの頃は剣道が上達するテクニックなどは一切教えてもらっていませんが、自然の中で伸び伸びとみんなで楽しく練習しながら、日本の武道の精神の柱となっていた思想を身体全体で吸収していた頃なんだと思います。

 

これが道場訓でした。至誠という言葉の意味は、この上なく誠実なこと。まごころ。だそうです。人として生きていく上で真に大切な事が書かれています。当たり前に読んでいた道場訓でしたが、改めて読み返してみると、身に染みる内容でした。

一方、大学時代は振り返ってみると、自分の剣道の考え方を構築したり、チームビルディングを重要視していた時期だったように思います。


・団体戦としてのチームの創り方

・個人プレーに走らない役割分担によるチーム編成

・タスキを渡すように繋ぐ剣道

・理想のイメージを構築するイメージトレーニング

・呼吸の間を制する為の足さばき

・論理型と直感型

・左目に宿る全体把握力

・こんなもんでいいのか?いやいやまだまだ!

・現状に満足せず改善できる事がないか客体視して自分を見つめる

・練習でも本番をイメージして、自分の意識や動きをより良い方向へコントロールする


などなど書ききれないくらいいろんなことを意識して実験を繰り返しながら、日々成長していた実感があります。その代わり、小学生の頃に学んだ至誠館の道場訓は忘れてしまっていたように思います。本当に大切なことはなんなのか、改めて考えさせられました。