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マツダのデザインフィロソフィーをMAZDA3と書籍「MAZDA DESIGN」に学ぶ

日経デザイン社の「MAZDA DESIGN」を読んで、改めてマツダブランドの考え方を学んでいます。コンセプトカーShinariが誕生してからマツダはそれまでの顧客より、新たなクルマ好き顧客へのアプローチをしていきました。一目見て魅力溢れるスタイリングが伴わないクルマは作らない。開発者は自分が開発しているクルマを愛車と呼ぶ。匠モデラーによる徹底したリフレクション検証により、RX-VISIONでは、湖畔の風景がボディに映り込んだ瞬間のダイナミックリフレクションを実現しました。連続したリフレクションは途切れることなく続く造形意図が込められています。徹底した造形検証の賜物です。たった数パーセントの人にだけ、受け入れて貰えるクルマを創るというリスクを覚悟でCX-5でフロントデザインを刷新。新型アテンザでShinariを踏襲。アクセラ、デミオとマツダらしさをフロントで魅せる工夫をしてきました。

 

盆休みにマツダディーラーに行くとMAZDA3(アクセラの後継機)が展示されていました。ボディは滑らかに繋がり、マツダのコンセプトRX-Visionを彷彿とさせるデザインでした。インテリアもグレードアップし、車に乗る喜びや楽しさ、ワクワクを産み出してくれるデザインに感動。この感動があるから、クルマに乗る楽しみが出来、クルマを愛して、クルマを大切にする。クルマを大切にするということは、そのクルマを運転する姿勢さえも変えてしまうんです。車に乗っている人の運転は、そのクルマにどのような意味と価値を与えているかによって、変わります。マツダだけのブランド価値を、その顧客は感じて、無意識のうちにそのフィロソフィーを体現しています。

 

「マツダのクレイモデラーは、デザイナーの指示通りにスケッチを立体化することだけが仕事ではない。そこに自らの感性を加え、自らの提案を込めるのだ。微妙にニュアンスが異なる複数のクレイモデルが、徐々に完成形へと絞り込まれ、最終的に究極の一台がつくられる。」

 

MAZDA DESIGN p63 ブランド改革を索引し続ける「CX-5」より

 

この文章を呼んでハッとしました。指示待ち人間と、プロフェッショナルの違いはこういうところに現れます。マツダのモデラーは、デザイナーに文句を言うぐらい誇り高い仕事をしているという自意識があり「立体化出来ないようなスケッチは持ってくるな!」と言われるそうです。これは、僕自身も前職のパチンコ筐体デザインをしている時に、モデラーから何度も言われたことがありました。モデラーから色々な提案をしてもらいました。「このスケッチはこういうことだよね?」スケッチとモデルによるダイナミックなコミュニケーションは、プライドとプライドの戦いでもあり、お互いの切磋琢磨により常に磨かれ、造形が研ぎ澄まされていきます。

 

今になって思います。お互いの解釈をぶつけ合う関係がとても心地が良かったのです。お互いをリスペクトしながらも、言いたいことを言い合える関係性がありました。マツダイズムに通じるデザインフィロソフィーが、モデラーとデザイナーの中にある関係程、幸せな事はないと思います。その魂は伝染していくし、顧客にも伝わっていきます。自分の感性をもっともっと磨いていきたい。そう思った夏休みでした。